咆哮のお時間

だけど沙羅ちゃんは言うのである。沙羅ちゃんは心中穏やかでない。

てかなんか情緒ちゃんどしたん話聞こか的な

 

 なーんかイメージが悪過ぎて、私が平和主義であることを理解されていないどころかなんなら過激思想の武闘派だと疑われがちなのウケる。チョベリバ。

 揉めることに嫌悪がある。というかシンプルに苦手である。しかしながら世の中揉めるのが上手い奴というのが得をしがちなのだ。辟易とする現実である。くそったれだと思う。

 一応無宗教なんだけど物心ついた頃からわりと真面目に世界平和を願っており、人類に対し少なからず愛があり、より良い世界にしたい、という結構強めの願望が素で備わっている。

 人間がめちゃくちゃ苦手だが、人間のこと、きっと嫌いではない。いや、嘘。そこはかとなく全員が嫌いではある。だけど人類という大きな枠で見たとき、そこそこ好きなのだ。ややこい愛憎やめろ。
 それ故に、人の当たり前の悪意というものをぶつけられる度戸惑い、驚き、傷付いてきた。
 衛宮士郎ほどではないが何事においても自分を優先順位の1番上に置くことが出来なかったし、それが普通だと思っていたから世界はハードモードである。
 ので、数年程前からようやく『みんな』の平和や幸せを願うのを意図的にやめた。

 自分と、自分の好きな人達だけの幸せを優先して生きることにした。

 だけど幼少期から深く根付いた思想は簡単には拭えないので、かなり意識しないといつの間にか近い他人遠い他人の幸せを願ってしまう。根がラブアンドピースでありたい人間なんだと思う。忌野清志郎とかエンドリケリーとか聴く。


 っていう話をしたら

「それを願ってる人っていうのは結構少数なんだよ。その感性は誇るべきものだと思う。だけどそれはかなり生きづらいね。だって『みんな』が平和を願ってればとっくに平和が訪れてるし、誰もお前を傷付ける必要がない。平和じゃないから平和を願うわけだけれど、願わない人の母数が多いから世界はゴミなんじゃん? 因みに私は私以外の誰の幸せも平和も願ってないし私しか大事ではないです」

と言われてまた吃驚して、腑に落ちて、しんどくなった。そしてフグばりに膨らむ腹。過敏性腸症候群

 自分の健康の為に、私ももっと上手に他人のせいにして生きていきたい。

 因みに言ったのは私の妹。なんかとんでもなく自己愛が強い。

 

 以上、世界の流れとえぐめの正月に感受性がアレしてしまった末路のポエム錬成。失礼。ちょっと家が揺れただけで死への恐怖でメンタル終わってしまい、感傷的な自分語りし始めてしまうの恥ずかしい。尚、痛みや己の不出来で泣くことはまったくないが災害を知らせるニュースとか目にするだけで呼吸が浅くなって秒で涙を流すタイプ。野良猫の喧嘩の声はおろか、近所の幼児の泣き声聴くだけで頻脈起こして不眠こじらせる。流石にデリケート過ぎんか? マンボウ

 てか今日昼過ぎから4時間予定のMTG入ってるんだけど、化粧落としてなくておもしろい。カビゴンに3食餌もやってない。それでも朝がやってくるのおもしろい。何も成せてないのに今日もちゃんと日が昇るのおもしろい。